soyogiのブログ

「ローズンゲン日々の聖句」により、聖書からのメッセージを書いてみます。

預言の言葉のとおりに、仕えるため、自分の命を献げた方が

人の子は、仕えるために、
また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために
来た。マタイ20:28(4/2の週の聖句)


 見よ、
わたしは苦しみの炉でお前を試みる。イザヤ書48:10


 パウロの手紙:
私たちは生きている間、
絶えずイエスのために死にさらされています。
死ぬはずのこの身にイエスの命が現れるために。Ⅱコリント4:11


 マルコ10:35~45
 詩22:1~22(通読箇所)
  (ローズンゲン日々の聖句4/2;日)


 イエスが生まれる550年ほど前に書かれたダニエルの預言。
その預言の中にあるのですね。
「見よ、人の子のような方が天の雲に乗って来られ、
年を経た方のもとに進み、その前に導かれた。
この方に、主権と光栄と国が与えられ、
諸民、諸国、諸国語の者たちがことごとく、彼に仕えることになった。
その主権は永遠の主権で、
過ぎ去ることがなく、この国は滅びることがない」(ダニエル7:13~14新改訳)と。


 イエスは、そのダニエルが言う「人の子」、
天の雲に乗って来る、永遠の主権と光栄と国が与えられ、すべての者が仕える、
その「人の子」だと、名乗られるのですね。
ただし、今回は、仕えられるためではなく、仕えるために、
多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのだと。


 イエスが生まれる1000年ほど前に書かれたダビデの詩。
その中には、
「わが神、わが神、どうして、私をお見捨てになったのですか」(詩篇22:1新改訳)とあり、
「主に身を任せよ。彼が助け出したらよい。彼に救い出させよ。彼のお気に入りなのだから」(同8)、
「私の力は、土器のかけらのようにかわききり、私の舌は、上あごにくっついています」(15)、
「彼らは私の着物を互いに分け合い、私の一つの着物を、くじ引きにします」(18)とあります。


 そして、1000年ほど後のこと、午前9時頃、十字架に架かられたイエスは、午後の3時に、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ(わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか)」と叫ばれて息を引き取られたのだそうです(マルコ15:34)。


 祭司長たちは、イエスをあざけって、
「今、十字架から降りてもらおうか。
そうしたら、われわれは信じるから。
彼は神により頼んでいる。
もし神のお気に入りなら、いま救っていただくがいい。
『わたしは神の子だ』と言っているのだから」(マタイ27:41~43)と嘲笑したのだそうです。


 イエスは、「わたしは渇く」と言われ(ヨハネ19:28)、
また、「兵士たちは、イエスを十字架につけると、
イエスの着物を取り、ひとりの兵士にひとつずつあたるように4分した。
また下着をも取ったが、それは上から全部一つに織った、縫い目なしの物であった。
そこで彼らは互いに言った。
『それは裂かないで、だれの物になるか、くじを引こう』」(ヨハネ19:23~25)と。
そして、そのようにしたのだそうです。


1000年ほど前のダビデの言葉のとおりがイエスの身に起こったのですね。


 天の神、主は、ご自分の民を悩みの炉で試し、純粋にし、鍛錬し、強くされるようです。
苦しめられ、途方にくれ、イエスの死をこの身に帯び、イエスのために絶えず死に渡されていますが、そのことによって、イエスのいのちが、この死ぬべき肉体において明らかに示されるようになるのだそうです。


主イエスを死者の中からよみがえらせた方は、私たちをもイエスとともによみがえらせ、ご自身の前に立たせてくださるのだそうですから(Ⅱコリント4:8~14)。


仕えられるためにではなく、仕えるために来て、
私たちを買い戻す身代金として、ご自身のいのちを献げてくださったイエスによって。
この新しい週も。
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