soyogiのブログ

「ローズンゲン日々の聖句」により、聖書からのメッセージを書いてみます。

貧しい者の訴えを取り上げてくださる方が

私を癒してください、主よ、
そうすれば、私は癒されます。
私をお救いください。
そうすれば、私は救われます。エレミヤ書17:14


    (10/15の週の聖句)



私は知っています。
主は必ず、貧しい人の訴えを取り上げ、
乏しい人のために
裁きをしてくださることを。詩篇140:13



貧しい人々は幸いである、
神の国はあなたがたのものである。ルカ6:20


 ヨハネ9:1~7
 ヤコブ1:19~27(通読箇所)


    (ローズンゲン日々の聖句10/18;水)



   ―――― α&ω ――――



 聖書を通しご自身を啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
私たちを癒し、救っててくださる方。



それで私たちは、この方に信頼し、お願いしていけば、
癒され、救われると預言者エレミヤは言うのですね。



 また、ダビデ王は、詩篇の中で言っています。
この方、天の神、主が、必ず、貧しい人、乏しい人のために
正しい裁判をしてくださる、と。



 また、イエスは言います。
(心の)貧しい人、その人は神を求めるから幸いである。
今は、神の統治の中に入れられ、
やがては実現する神の国に入れてもらえるから、と。




 エルサレムでの出来事だと思いますが、
ヨハネは記しています。


 さて、イエスは通りすがりに、
生まれたときから目の見えない人をご覧になった。
弟子たちはイエスに尋ねた。
「先生。この人が盲目で生まれたのは、
だれが罪を犯したからですか。
この人ですか。両親ですか。」



イエスは答えられた。
「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。
この人に神のわざが現れるためです。


わたしたちは、わたしを遣わされた方のわざを、
昼のうちに行わなければなりません。
だれも働くことができない夜が来ます。
わたしがこの世にいる間は、わたしが世の光です。」



イエスはこう言ってから、地面に唾(つば)をして、
その唾で泥を作られた。
そして、その泥を彼の目に塗って、
「行って、シロアム(訳すと、遣わされた者)の池で
洗いなさい」と言われた。



そこで、彼は行って洗った。
すると、見えるようになり、帰って行った。


近所の人たちや、
彼が物乞いであったのを前に見ていた人たちが言った。
「これは座って物乞いをしていた人ではないか。」
ある者たちは、「そうだ」と言い、
ほかの者たちは「違う。似ているだけだ」と言った。
当人は、「私がその人です」と言った。



そこで彼らは言った。
「では、おまえの目はどのようにして開いたのか。」
彼は言った。「イエスという方が泥を作って、
私の目に塗り、
『シロアムの池に行って洗いなさい』と言われました。
それで、行って洗うと見えるようになったのです。」(ヨハネ9:1~11)




 このようにイエスは、
道ばたに置かれてただ物乞いをしているだけの
生まれたときから目が見えない人のことも心にかけられ、
自分から近寄って行って目が見えるようにしてくださる方。




 イエスの弟のヤコブは、手紙で書き送っています。
私の愛する兄弟たち、このことをわきまえておきなさい。
人はだれでも、聞くのに早く、語るのに遅く、
怒るのに遅くありなさい。
人の怒りは神の義を実現しないのです。



ですから、すべての汚れやあふれる悪を
(イエスの御前に)捨て去り、
(【聖である霊】と呼ばれる方によって)心に植えつけられた
みことばを素直に受け入れなさい。
みことば(によって表された神の御思い)は、
あなたがたの魂を救うことができます。



(【聖である霊】と呼ばれる方によって心に来た)みことばを
行う人になりなさい。自分を欺(あざむ)いて、
ただ聞くだけの者となってはいけません。


みことばを聞いても行わない人がいるなら、
その人は
自分の生まれつきの顔を鏡で眺めている人のようです。
眺めても、そこを離れると、自分がどのようであったか、
すぐに忘れてしまいます。



しかし、自由をもたらす完全な律法
(【聖である霊】と呼ばれる方によって心に来た
【父である神】御思い)を一心に見つめて、
それから離れない人は、すぐに忘れる聞き手にはならず、
実際に行う人(神のみわざの現れを持つ人)になります。
こういう人は、その行いによって祝福されます。


自分が宗教心にあついと思っても、
自分の舌を制御せず、
自分の心を欺(あざむ)いているなら、
そのような人の宗教は空しいものです。
父である神の御前できよく汚れのない宗教とは、
孤児ややもめたちが困っているときに世話をし、
この世の汚(けが)れに染まらないよう
自分を守ることです。(ヤコブ1:19~27)




 私たちも、【父である神】の御思いのとおりが、
生活に現れるまでに、
【聖である霊】と呼ばれる方の働きが現れてくださるよう、
また、この方のうながしについて行けるよう、
願っていきたいものです。



私たちを癒し、救ってくださる方、
正しいさばきを行ってくださる方に思いを向けて。


今日も。



     ~~~~~~~~~~~~~~



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神と思いを一つにして生きる生き方へ

主よ、私は
集会の中であなたを賛美しよう。詩篇22:23



 (イエスの、父である神への弟子たちのための祈り)
あなたがくださった栄光を、
わたしは彼らに与えました。
わたしたちが一つであるように、
彼らも一つになるためです。ヨハネ17:22



 フィレモン書1~16(17~22)
 マタイ16:13~23(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句9/13;水)



   ―――― α&ω ――――



 イエスは、ご自分が父である神から受けている栄光を、
弟子たち(私たち)に与えてくださっている、
というのですね。


「わたしたち」、
【父である神】、【御子である神】、
【聖である霊】と呼ばれる神が、
愛において、自由意思で、自発的に一つになっておられる、
思いを一つにしておられる、
その一つに私たちも加わるように、と。
私たちにも、ご自身と同じ栄光を着せてくださって。


それで、私たちも集会の中でこの方を賛美するのですね。




 この、愛における神との一つの中にあって
パウロはピレモンに書き送っています。


 キリスト・イエスの囚人パウロと兄弟テモテから、
私の愛する同労者ピレモンと、姉妹アッピア、
私たちの戦友アルキポ、
ならびに、あなたの家にある教会へ。



 私たちの父なる神と、主イエス・キリストから、
恵みと平安があなたがたにありますように。


私は祈るとき、いつもあなたのことを思い、
私の神に感謝しています。
あなたが主イエスに対して抱いていて、
すべての聖徒たちに向けている、
愛と信頼について聞いているからです。



私たちの間でキリストのためになされている良い行いを、
すべて知ることによって、あなたの信仰の交わりが
生き生きとしたものになりますように。


私はあなたの愛によって多くの喜びと慰めを得ました。
それは、兄弟よ、あなたによって
聖徒たちが安心を得たからです。



 ですから、あなたがなすべきことを、私はキリストにあって、
全く遠慮せずに命じることもできるのですが、
むしろ愛のゆえに懇願します。


このとおり年老いて、
今またキリスト・イエスの囚人となっているパウロが、
獄中で生んだわが子オネシモ
(有益な者という意味の名前)のことを、
あなたにお願いしたいのです。



彼は、以前はあなたにとって役に立たない者でしたが
(オネシモはピレモンの奴隷だったが、
主人に物を盗んで逃亡していたと思われる)、
今は、あなたにとっても私にとっても(名前のとおりに)
役に立つ者になっています。


そのオネシモをあなたのもとに送り返します。
彼は私の心そのものです。
私は、彼を私のもとにとどめておき、
獄中にいる間、福音のためにあなたに代わって
私に仕えてもらおうと思いました。



しかし、あなたの同意なしには
何も行いたくありませんでした。
それは、あなたの親切が強いられたものではなく、
自発的なものとなるためです。


オネシモがしばらくの間あなたから離されたのは、
おそらく、あなたが永久に
彼を取り戻すためであったのでしょう。
もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、
愛する兄弟としてです。
特に私にとっては愛する兄弟ですが、あなたにとっては、
肉においても主にあっても、
なおのことそうではありませんか。



ですから、あなたが私を仲間の者と思うなら、
私を迎えるようにオネシモを迎えてください。
もし彼があなたに何か損害を与えたか、
負債を負っているなら、その請求は私にしてください。
私パウロが自分の手で、「私が償います」と書いています
(これ以外の所は、口述筆記で他の人が書いている)。



あなたが、あなた自身のことで
私にもっと負債があることは、言わないことにします。
そうです。兄弟よ。私は主にあって、
あなたの厚意にあずかりたいのです。
私をキリストにあって安心させてください。


私はあなたの従順を確信して書いています。
私が言う以上のことまで、あなたはしてくださると、
分かっています。


同時に、私の宿も用意しておいてください。
あなたがたの祈りによって、
私はあなたがたのもとに行くことが許されると
期待しているからです
(パウロは、この、1回目の投獄のときは、
釈放される希望を持っていたので)。(ピレモン書1~22)




 マタイによるイエスの記事に戻ります。
 さて、ピリポ・カイザリアの地方に行かれたとき、
イエスは弟子たちに「人々は人の子
(イエスはご自分のことをよくこう言われた)を
だれだといっていますか」とお尋ねになった。


彼らは言った。「バプテスマのヨハネだという人たちも、
エリヤだという人たちもいます。
またほかの人たちはエレミヤだとか、
預言者の一人だとか言っています。」



イエスは彼らに言われた。
「あなたがたは、わたしをだれだといいますか。」


シモン・ペテロが答えた。
「あなたは生ける神の子キリストです。」


すると、イエスは彼に答えられた。
「バルヨナ・シモン
(ヨナの子シモン、ペテロの本名はシモン)、
あなたは幸いです。
このことをあなたに明らかにしたのは血肉ではなく、
天におられるわたしの父です。


そこで、わたしもあなたに言います。
あなたはペテロ(ペトロス=石)です。
わたしはこの岩(ペトラ=岩)の上に、
わたしの教会を建てます。
よみの門もそれに打ち勝つことはできません。
わたしはあなたに天の御国の鍵を与えます。
あなたが地上でつなぐことは
天においてもつながれ(ており)、
あなたが地上で解くことは天においても解かれ(てい)ます。


 そのときイエスは弟子たちに、
ご自分がキリストであることをだれにも言ってはならない、
と命じられた。
そのときからイエスは、ご自分がエルサレムに行って、
長老たち、祭司長たち、律法学者たちから
多くの苦しみを受け、殺され、
三日目によみがえらなければならないことを、
弟子たちに示し始められた。


すると、ペテロはイエスをわきにお連れして、
いさめ始めた。
「主よ、とんでもないことです。
そんなことがあなたに起こるはずがありません。」



しかし、イエスは振り向いてペテロに言われた。
「下がれ、サタン。
あなたは、わたしをつまずかせるものだ。
あなたは神のことを思わないで、
人のことを思っている。」(マタイ16:13~23)




 【父である神】は、
パウロがピレモンに書き送っているように、
私たちにも、強制されて、
あるいは、「ねばならないから」ではなく、
自由意思で、自発的に、自分から進んで、
愛し合う、信頼し合う関係になりたいと
思っておられるのですね。
だから、「あなたの同意なしにはなにも行いたくない」と。


愛において、自由意思で、自発的に、自分から進んで、
思いを一つにし合う関係に入ってほしい、と。




 やがてイエスは、弟子たちに示されたとおりに、
エルサレムに上り、
長老たち、祭司長たち、律法学者たちから捨てられ、
十字架刑での処刑を受けられ、
死んで墓に納められました。



しかし、三日目、日曜日の早朝、
新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語り、
公衆の面前で確かに死んだ自分が
まさに生きていることを見せたのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に復帰されました。


そして、その【神の子】の位にあって、もう一人の方、
【聖である霊】と呼ばれる方を私たちにお遣わしくださり、
この方によって私たちの心に
【父である神】の御思いを置き、書き記して、
私たちのうちに【父である神】の御思いがあるようにし、
私たちが、【父である神】と
思いを一つにしながら生きる者となって、
【父である神】がしようと思われることをしていく者に
してくださる、というのですから。



 この方をほめたたえる中で、
いよいよ、この神と思いを一つにしながら生きる生き方へ。


今日も。



     ~~~~~~~~~~~~~~



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どのような聞き方をしているでしょうか

傷ついた葦を折らず、
くすぶる灯心の火を消さず イザヤ書42:3a
    (8/27の週の聖句)



わたしは主、あなたの神、
わたしはあなたの益となることを教え、
あなたの歩むべき道に
あなたを導く。イザヤ書48:17


マリアは主の足元に座って、
その話しを聞いていた。ルカ10:39



 マルコ3:1~10(11,12)
 マタイ13:10~17(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』8/29)



     ~~~~~~~~~~~~~~



 聖書を通し、ご自身を啓示している方、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、柔和で、心優しい方。
傷ついた葦を、切り捨ててしまったり、
消えかかってくすぶっている灯心の火を
消してしまったりなさらない方なのですね。



私たち、すべての人間の創造主、神として、
私たちの益となることを教えてくださり、
歩むべき道に導いてくださって。



それで私たちも、ベタニアのマリアが
イエスの足もとにペタッと座り込んで
イエスの話しに聞き入っていたように、
イエスの話しに、
また、イエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いに聞き入っていくのですね。




 マルコは、イエスについて次のように記しています。
イエスは再び会堂に入られた。
そこに片手の萎(な)えた人がいた。
人々は、イエスがこの人を安息日に治すかどうか、
じっと見ていた。
イエスを訴えるためであった。


イエスは、片手の萎(な)えたその人に言われた。
「真ん中に立ちなさい。」
それから彼らに言われた。
「安息日に律法にかなっているのは、善を行うことですか。
それとも悪を行うことですか。
いのちを救うことですか。
それとも殺すことですか。」


彼らは黙っていた。
イエスは怒って彼らを見回し、
その心の頑(かたく)なさを悲しみながら、
その人に「手を伸ばしなさい」と言われた。
彼が手を伸ばすと、手は元どおりになった。



パリサイ人たちは出て行ってすぐに、
ヘロデ党の者たちと一緒に、
どうやってイエスを殺そうかと相談し始めた。


それから、イエスは弟子たちとともに湖の方に退かれた。
すると、
ガリラヤから出て来た非常に大勢の人々がついて来た。
また、ユダヤから、エルサレムから、イドマヤから、
ヨルダンの川向こうやツロ、シドンのあたりからも、
非常に大勢の人々が、
イエスが行っておられることを聞いて、
みもとにやって来た。



イエスは、群衆が押し寄せて来ないように、
ご自分のために小舟を用意しておくように、
弟子たちに言われた。
イエスが多くにお人を癒(いや)されたので、
病気に悩む人たちがみな、イエスにさわろうとして、
みもとに押し寄せて来たのである。


汚(けが)れた霊どもは、
イエスを見るたびに御前にひれ伏して
「あなたは神の子です」と叫んだ。
イエスはご自身のことを知らせないように、
彼らを厳しく戒められた。(マルコ3:1~12)




 イエスが、たとえで、
農夫が種を蒔きに行った時、ある種は道ばたに、
ある種は土の薄い岩地に、
ある種は茨の間に落ちて実を結ぶまでに至らなかったが、
良い地に落ち落ちた種は100倍、60倍、
30倍の実を結んだという話をされました。
その時のマタイの記事は続きます。


すると、弟子たちが近寄って来て、イエスに
「なぜ、彼らにたとえでお話しになるのですか」と言った。
イエスは答えられた。
「あなたがたには
天の御国の奥義を知ることが許されていますが、
あの人たちには許されていません。
持っている人は与えられてもっと豊かになり、
持っていない人は
持っているものまで取り上げられるのです。


わたしが彼らにたとえで話すのは、
彼らが見てはいるが見ず、聞いているが聞かず、
悟ることもしないからです。


こうしてイザヤの告げた預言が、
彼らにおいて実現したのです。
「あなたがたは聞くには聞くが、
決して悟ることはない。
見るには見るが、決して知ることはない。
この民の心は鈍くなり、
耳は遠くなり、目は閉じているからである。
彼らがその目で見ることも、耳で聞くことも、
心で悟ることも、立ち返ることもないように。」



しかし、あなたがたの目は見ているから幸いです。
あなたがたの耳は聞いているから幸いです。
まことに、あなたがたに言います。
多くの預言者や義人たちが、
あなたがたの見ているものを見たいと切に願ったのに、
見られず、
あなたがたのきいている子をと聞きたいと切に願ったのに、
聞けませんでした。」(マタイ13:10~17)





 このように、同じことを見、同じことばを聞いても、
受け取り方は人により様々なのですね。
イエスのことばを聞き、そのみわざを見ても、
いよいよ、イエスに反対し、
イエスを殺そうとする者もあれば、
マリアのようにイエスの言葉に聞き入っていく者、
イエスについて行く者もあるのですから。



私たちも、この方こそ私の神、
私の人生を歩むべき道に導いてくださる方と認めて、
この方に聞いていく者、ついて行く者でありたいですね。


イエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方が、
【父である神】の私に対する御思いを
私の心に置いてくださるのですから。



傷つき、折れかけている葦のような私たちを
折ってしまうことなく、
消えかけてくすぶっているような私たちを、
吹き消してしまうこともしないで。


今日も。



     ~~~~~~~~~~~~~~



(聖書のことばへの疑問やご意見、
近くの教会を知りたい等の方、
また、婚活で広く出会いを求めたい
教会に行っていないけれど
葬儀をキリスト教でしたい、等の方、
お問い合わせは、
shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。)




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