soyogiのブログ

「ローズンゲン日々の聖句」により、聖書からのメッセージを書いてみます。

こういうことをなさる方なのですね。天の神、主と呼ばれる方。

私たちの主なる神のなさることはすべて正しい。ダニエル書9:14



主人の言葉:
友よ、あなたに不当なことはしていない。
自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。
それともわたしの気前のよさをねたむのか。マタイ20:13、15

          (ローズンゲン日々の聖句4/25;土)



 自分の背きの故に打たれたことを知る者は、打たれたのは当然です、打ったあなたは正しいと言うのですね。

 イエスは、天の御国について、たとえで話しておられますが、これもその一つ。
 ある人が、自分のぶどう園で(取り入れのために)働く労務者を雇うために、朝早く市場に行ったのだそうです。そして、1日1デナリ(当時、労働者の1日分の給料)の約束で雇い、ぶどう園に送ったのだそうです。


 9時ごろ、市場に行ってみると、何もしないで立っている人がいるので、「あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。相当のものを上げるから」とぶどう園に送ったのだそうです。12時ごろ、3時ごろにも出かけて行って同じようにしたのですね。

 5時頃、市場に行ってみると、別の人が立っていたので声をかけたのだそうです。
「なぜ、一日中仕事もしないでここに立っているのか」と。
すると、彼らは「だれも雇ってくれないからです」と答えたので、
「あなたがたも、ぶどう園に行きなさい」と送り出したのだそうです。

 夕方になったので、ぶどう園の主人は監督に言ったのですね。
「労務者たちを呼んで、最後に来た者たちから順に、最初に来た者たちにまで、賃金を払ってやりなさい」と。
それで、5時頃来た者たちから順に1デナリずつもらったのですね。
最初の者たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思ったのですが、彼らもやはり一人1デナリずつだったのだそうです。
そこで、主人に文句を言ったのですね。
主人は答えました。
「友よ。私はあなたに何も不当なことはしていない。あなたは私と1デナリの約束をしたではありませんか。ただ、私としては、この最後の人にも、あなたと同じだけ上げたいのです」と。

 自分よりも、もっともっと罪深いと思われる人が、イエスの十字架刑での処刑のゆえに赦されて天国に入れてもらえる。
それは、私たちの目から見ると不当に思えるのですが、でも、主人は言うのですね。「わたしは不当なことはしていない。この人にもあなたと同じようにしてあげたいのだ」と。
今日も。


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思いを一つにし合うあいだがらに入れていただけるのだそうですね。私たちも。


主は世界中至るところを見渡され、
御自分と心を一つにする者を力づけようとしておられる。歴代誌下16:9



キリストの言葉:
わたしは、あなたの行いと労苦と忍耐を知っている。黙示録2:2

 


                (ローズンゲン日々の聖句4/24;金)




 御自分と心を一つにする者を探し求めておられるのですね。あの方は。世界中から。
御自身のほうでも、私たち人間と心を一つにしようと思っていて下さって、

私たちの全部を知っていて、解っていて下さるのですね。



 それで、すでに知っていることではあるのですが、

私たち人間の側から持って来て、知らせてくれることを喜ばれるのだそうです。



 イエスによれば、イエスが父と呼んでおられる方とイエスとの関係は、

「あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいる」、一つになっている関係なのだそうです(ヨハネ17:21)。

そして、私たち人間の一人ひとりがあの方々におり、

あの方々が私たち人間の一人ひとりの中にいるようになって下さるのだそうです(ヨハネ1722~26)。



  「初めからこれらのことを話さなかったのは、わたしがあなたがたといっしょにいたからです。

しかし今わたしは、わたしを遣わした方のもとに行こうとしている」ので話しておくのだとおっしゃらるのですね(ヨハネ16:4~5)




  「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて」(創世記1:26)とおっしゃられ、

その御思いのとおりに造られた私たち人間が(創世記1:31)、

最初の人、アダムの離反によって的はずれのものになってしまったのだそうですが(創世記3:22)、

これからなされようとしているイエスの十字架刑での処刑と、

それによって実現する聖である霊と呼ばれる方が私たち人間の一人ひとりの内に来て下さって、

父である方の御思いを私たち一人ひとりの心に書き記して下さるという、そのことによって、

あの方々の中に私たち人間の一人ひとりがいるようになり、私たち人間の一人ひとりの中にあの方々がいて下さるようになるのだそうです。




 愛し合う者どうしは、

お互いが思いを見せ合い、知らせ合って、一つ心になっていくのだそうですね(ヨハネ17:26)。
今日も。







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死もなく、悲しみ、叫び、苦しみのない世界が来るのだそうですね。

あなたの嘆きの日は終わる。イザヤ書60:20




神の愛によって自分を守り、
永遠の命に導いてくださる、
私たちの主イエス・キリストの憐れみを待ち望みなさい。ユダ書21




            (ローズンゲン日々の聖句4/23;木)




 あなたを苦しめた者たちの子らは、
身をかがめてあなたのところに来、
あなたを侮った者どもはみな、
あなたの足もとにひれ伏し、
あなたを主の町、
イスラエルの聖なる方のシオン、と呼ぶ。
あなたは捨てられ、憎まれ、
通り過ぎる人もなかったが、
わたしはあなたを永遠の誇り、
代々の喜びの町に変える。
あなたは国々の乳を吸い、王たちの乳房を吸う。
あなたは、わたしが、あなたを救う主、
あなたを贖(あがな)うヤコブの全能者であることを知る。



太陽がもうあなたの昼の光とはならず、
月の輝きもあなたを照らさず、
主があなたの永遠の光となり、
あなたの神があなたの光栄となる。
あなたの太陽はもう沈まず、
あなたの月はかげることがない。
主があなたの永遠の光となり、
あなたの嘆き悲しむ日が終るからである。



時が来れば、わたし、主が、すみやかにそれをする。(イザヤ60:14~22)




 その日が来るのだそうです。
受けられるはずのない私たちにも、
イエスによって、プレゼントとして差し出して下さっているのだそうです。
だから、待ち望みなさいと。
今日も。


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