soyogiのブログ

「ローズンゲン日々の聖句」により、聖書からのメッセージを書いてみます。

罪を知らない一人の人が、すべての人のために死んだことによって

ヤコブは、神が自分と語られた場所を
ベテル(神の家)と名付けた。創世記35:15



百人隊長や
一緒にイエスの見張りをしていた
人たちは、
地震やいろいろの出来事を見て、
非常に恐れ、
「まことに、この人は神の子だった」
と言った。マタイ27:54



 福音書:ヨハネ19:16~30


 使徒書:Ⅱコリント5:(14b~18)19~21


 旧約:イザヤ書52:13~53:12


 説教:マタイ27:33~54


 日課:1ペテロ3:18~22


 通読箇所:マルコ15:42~47


  (ローズンゲン『日々の聖句』3/29聖金曜(受難)日



   ―――― α&ω ――――



 天の神、主は、
イエスが生まれる700年ほど前に活動した
預言者イザヤを通し、次のように預言しておられます。



「見よ、わたしのしもべは栄える。


彼は高められ上げられ、きわめて高くなる。


多くの者があなたを見て驚き恐れたように、


その顔だちは損なわれて人のようではなく、


その姿も人の子らとは違っていた。


そのように、彼は多くの国々に血を振りまく。


王たちは彼の前に口をつぐむ。


彼らが告げられていないことを見、


聞いたこともないことを悟るからだ。」



私たちが聞いたことを、だれが信じたか。


【主】の御腕はだれに現れたか。


彼は主の前に、ひこばえのように芽生え出た。


砂漠の地から出た根のように。


彼には見るべき姿も輝きもなく、


私たちが慕うような見栄えもない。



彼は蔑(さげす)まれ、人々からのけ者にされ、


悲しみの人で、病を知っていた。


人が顔を背けるほどに蔑(さげす)まれ、


私たちも彼を尊ばなかった。



まことに、彼は私たちの病を負い、


私たちの痛みを担った。


それなのに、私たちは思った。


神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。


しかし、彼は私たちの背きのために刺され、


私たちの咎(とが)のために砕かれたのだ。


彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、


その打ち傷のゆえに、私たちは癒(いや)された。



私たちはみな、羊のようにさまよい、


それぞれ自分勝手な道に向かって行った。


しかし、【主】は私たちすべての者の咎(とが)を
彼に負わせた。



彼は痛めつけられ、苦しんだ。


だが、口を開かない。


屠(ほふ)り場に引かれて行く羊のように、


毛を切る者の前で黙っている雌羊のように、


彼は口を開かない。



虐(しいた)げとさばきによって、彼は取り去られた。


彼の時代の者で、だれが思ったことか。


彼が民の背きのゆえに打たれ、


生ける者の地から絶たれたのだと。


彼の墓は、悪者どもとともに、


富む者とともに、その死の時に設けられた。


彼は不法を働かず、


その口に欺(あざむ)きはなかったが。



しかし、彼を砕いて病を負わせることは


【主】のみこころであった。


彼が自分のいのちを


代償のささげ物とするなら、


末長く子孫を見ることができ、


【主】のみこころは彼によって成し遂げられる。



「彼は自分のたましいの


激しい苦しみのあとを見て、満足する。


わたしの正しいしもべは、


その知識によって多くの人を義とし、


彼らの咎(とが)を負う。



それゆえ、


わたしは多くの人を彼に分け与え、


彼は強者たちを戦勝品として和勝ち取る。


彼が自分のいのちを死に明け渡し、


背いた者たちとともに数えられたからである。


彼は多くの人の罪を負い、


背いた者たちのために、とりなしをする。」(イザヤ52:13~53:12)




 イエスが十字架刑で処刑された後の様子を、
マルコは次のように書いています。



さて、すでに夕方になっていた。
その日は備え日、
すなわち安息日(土曜日)の前日であったので、
アリマタヤ出身のヨセフは、
勇気を出してピラトのところに行き、
イエスのからだの下げ渡しを願い出た。
ヨセフは有力な議員で、自らも神の国を待ち望んでいた。



ピラトは、イエスがもう死んだのかと驚いた。
そして百人隊長を呼び、
イエスがすでに死んだのかどうかを尋ねた。
百人隊長に確認すると、
ピラトはイエスの遺体をヨセフに下げ渡した。



ヨセフは亜麻布を買い、イエスを(十字架から)降ろして
亜麻布で包み、岩を掘って造った墓に納めた。
そして、墓の入り口には石を転がしておいた。


マグダラのマリアとヨセの母マリアは、
イエスがどこに納められるか、良く見ていた。(マルコ15:42~47)




 使徒パウロは言います。


私たちはこう考えました。
一人の人がすべての人のために死んだ以上、
すべての人が死んだのである、と。




キリストはすべての人のために死なれました。
それは、生きている人々が、
もはや自分のためにではなく、
自分のために死んでよみがえった方のために
生きるためです。~~



ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、
その人は新しく造られた者です。
古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。



これらのことはすべて、神から出ています。
神は、キリストによって私たちをご自分と和解させ、
また、和解の務めを私たちに与えてくださいました。



すなわち、神はキリストにあって、
この世をご自分と和解させ、
背きの責任を人々に負わせず、
和解のことばを私たちに委ねられました。



こういうわけで、
神が私たちを通して勧めておられるのですから、
私たちはキリストに代わる使節なのです。


私たちはキリストに代わってお願いします。
神と和解させていただきなさい。
神は、罪を知らない方を私たちのために罪とされました。
それは、私たちがこの方にあって神の義となるためです。(Ⅱコリント5:14b~21)




 神は、罪を知らない方イエスを、罪として
十字架刑で処刑され、
そのイエスの死によって私たち、人間のすべてが
死んだものとされました。



そして、イエスの三日目の死人の中からの


新しいからだへの復活、
そして、もう一人の方、【聖である霊】と呼ばれる方が
私たちに派遣されることによって、
私たちの心に【父である神】の御思いを置き、
私たちのうちに【父である神】の御思いがあるようにし、
受け入れる者が【父である神】と思いを一つにして生きる、
新しく生きる道を開いてくださいました。




 私たちも、この百人隊長のように、
このイエスこそ神の御子であることを認め、神と和解し、
【聖である霊】と呼ばれる方をお迎えし、
神の御思いで生きる道へと進みたいものです。



私たち一人ひとりを「ベテル(神の宮)」としていただいて、
神が私を通してしようと思われることをしていく今日を生きて。


今日も。



     ~~~~~~~~~~~~~~



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